さてさて第二弾の続きを書かせて頂きますが、今回は3月中旬からの経緯を書かせて貰います。
工房も片付いて大分と奇麗になりましてここから何を作るかを考えてた時期でもあったんですね!芸事も潮時でうだつも上がらん自分にこれからの事を考えた時になんとなくですが、たこ焼き屋や駄菓子屋とかやろうかなとただぼんやりと考えてました。
でも、こんなに広いねんから横の場所も有効利用して劇場も作ればより人が集まるかなと思っていたのが最初でしたね。
でも、立ち上げ資金など毛頭ないからどうするか悩んでいたら、当時叔父さんの友達が知らせを聞いて尋ねに来たんですが、この方と色々と話していたら「あんたも大変やろ」と10万円の香典を頂いた。
その方からお返しはと聞くと要らんからあんたの夢作りなはれとその方は言いまして有難く頂く事にしましたが、その方は叔父さんの友達でしたが、名前も名乗らず帰っていきましたね。
善は急げという事で10万円の香典を資金にして設計図を自分なりに書いてたこ焼き屋の店をこの工房の跡の土間に作る事に決めました。
設計図が出来たら今度は木材やら道具が必要ですが、でもここは元々大工さんの工務店ですから材料は結構残っている。
この木材を使って早速自分で大工仕事しながら理想のたこ焼き屋の店を作る事に決めました。
そして、この大工仕事を3月末から4月中頃まで毎日来ては作業してましたが、これが思いの外に楽しくて自分の理想を求める為に憑りつかれた様に作業していたのを覚えてますよ。
最初はこの様に衝立を作り、それから徐々に掘っ立て小屋への製作へと移って作り出したが、我ながら大工作業するのも楽しいし、作ってるとほんとに時間忘れるなと思いながら作ってましたね。
段々と形になっていく様が本当に面白くて一番この時が人生で一番楽しかったのかも知れないな。この経験から年を取ったら山に篭って掘っ立て小屋作って自然と住みたいなと考えていた程でしたね。(今はもうあの考え方から変わって無理というのになりましたがね。)
そして、同時進行で劇場作る事にもなり舞台作成へと動きましたが、この舞台も余りの材料利用したのとなくなればコーナンへ買い出して買ってましたね。
そして、4月入った頃にはみるみるうちに建物が形になっていきました。
もう壁も作られて、たこ焼き屋らしい形が出来て来ましたよね!この時はもうわくわく感が止まらず作ってる時に我を忘れてましたわ。
劇場の壁作りもこの様な感じで作ってる時にどうしょうかとか色々と考えながら作ってましたけど、この劇場は設計図もなければ全てアドリブでしたね。
そんな頃にうちの姪っ子と母親が労いに来たのを覚えてますわ!母親の実家なんですが、形が変わった事で驚いてましたけど、その母親も2024年に亡くなりました。
殆どが木材などで作られて形が作られていく事にこの時は本当に感動したし面白かったですね!もう人生であんな経験はもうないと思いますけど、それがエフエムひめを出来るまでの歩みだったと思うと鑑みる事だと思います。
今回もこれぐらいにしてまた第三回の記事もお楽しみくださいませ!!